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源懿子 (後白河天皇妃) : ウィキペディア日本語版 | 源懿子 (後白河天皇妃)[みなもと の いし] 源 懿子(みなもと の いし/ よしこ、永久4年(1116年) - 康治2年6月24日(1143年8月6日))は、藤原経実の娘。母は藤原公子(藤原公実の娘)。源有仁の養女。後白河天皇親王時の妃、二条天皇生母。贈皇太后。 母の妹が源有仁の室であった関係で、源有仁の養女として育てられた。保延5年(1139年)の雅仁親王(のちの後白河天皇)の元服の頃、妃となったとみられる。当時、雅仁親王は13歳、懿子は24歳で、懿子の方が11歳年長であった。康治2年(1143年)6月17日、三条高倉第において守仁親王(のちの二条天皇)を産むが、疱瘡を患い、同月24日に28歳で薨去。雅仁親王は久寿2年(1155年)、守仁親王即位までの中継ぎとして即位したが、保元3年(1158年)、守仁親王に譲位。懿子は二条天皇の即位に伴い、皇太后を追贈された。 == 参考文献 ==
*角田文衛『待賢門院璋子の生涯』、朝日選書、1985年
category:平安時代の后妃後宮 category:日本の贈后
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源懿子 (後白河天皇妃)」の詳細全文を読む
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